医療、介護、障害者福祉における意思決定を考える
近年、我が国では、医療、介護、障害者福祉のにおける本人の意思決定についての議論が盛んになってきています。
最近でも精神科医療や、グループホームなどにおける、意思決定が、法制化へ向けて動き出し、またガイドラインという形で表明されたりしています。
患者や利用者の自己決定。病気や障害がある本人の自己決定について、前進する議論自体は素晴らしいことだと思います。
但し、問題もないわけではありません。
それはどんな問題か?
日本における自己決定についての議論の中心は、意思決定できない状態の人に対してどうするかです。
もちろんそのこと自体大切なことですが、日本という文脈で考えた時、もっと重大なことが置き去りにされていると感じます。
それは何か?
意思決定ができる人に対する、自己決定の否定です。
つまりこれは、日本的パターナリズムを指します。
「あなたのためだから」という論理で、本人が意思を表明しているにもかかわらず、それに対して説得し、威圧し、強制して思いとどまらせる。
例えば高齢ドライバーの問題が当てはまります。
家族や病院が、あなたのためだからと言って免許証をの返納を、本人の意思に反して説得する。脅迫する。強制する。
こういうことは日々起きているでしょう。
これは明らかに、本人が意思表示できるのに、意思を尊重しない態度です。
特に日本の場合、家族というカテゴリーの中で、このようなパターナリズム的意思決定の拒絶が常態化しています。
日本は、意思決定できない人に何ができるかと同時に、
意思決定できる人に対して、その人の意思を尊重する態度、意識の醸成が必要です。
