障害の有無にかかわらず、共に学べる環境を。
特別支援学校とはどんな存在でしょうか?
学校教育法第72条には以下のような目的が掲げられています。
- 視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施す
- 障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けること
また、同法74条には以下のような目的も加えられています。
- 幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校又は中等教育学校の要請に応じて、第八十一条第一項に規定する幼児、児童又は生徒の教育に関し必要な助言又は援助を行うよう努めるものとする
障害のある子供たち対して、大人になった後も、一人の人間として、また大人として、尊厳ある人生を送ってもらいたい。そのために一人一人の出来る範囲で成長できるように、応援し、また教育してゆく。そしてその運営は公費で賄われ、国民の総意として実行される。
特別支援学校とはこのような公的な目的を担っています。
私たちは、特別支援学校の大事な目的として、もう一つ付け加えておきたい。そう感じています。
- 特別支援教育とは、単に個別の子供たちの成長を支えるだけでなく、社会全体での共生を育む源泉である。
という視点です。特に、障害者権利条約批准後は、障害者権利条約の精神を反映する法改正が進められています。
障害者権利条約とは、世界人権宣言が基盤となっている条約です。
つまり、特別支援学校や、特別支援教育とは、元をたどれば世界人権宣言の目的を達成するために行われる事業である。
私たちは、このことを特に皆様へお伝えしたいのです。
個別の障害を持つ子供たちへの支援と同時に、世界人権宣言が掲げるビジョンへの到達が、真の目的と言えるでしょう。
これらの考え方は、特別支援学校のみならず、医療、介護、福祉なども同様です。
つまり特別支援学校も、介護施設も、福祉作業所もグループホームも、「共に生きる世界」を実現するための手段と言えると思います。
では特別支援教育や学校は「共に生きる世界」を作ってゆくために、どのような役割を果たすことを求められているでしょうか?
それは、「共に生きる世界」の小さなモデルとして実践し、他者へ伝達すること。
私たちそう考えています。
私たちは、誰かに助けもらった経験があるからこそ、誰かを助けたいと考えます。
誰かに助けてもらった時、私たちは二つのことを考えます。ひとつは「ありがとう」。これは助けてくれた人へのお礼です。
そしてもう一つは「いつか私も誰かを助けたい」。です。
この、「いつか誰かを助けたい」が、連鎖する時、初めて「共に生きる世界」は成長を始めます。
特別支援教育も、病院も、介護施設も、障害者福祉事業も、
この連鎖を産む、最初の一滴なのです。
そのことは、古代世界からずっと続いています。
こう考えた時、一つの疑問が湧いてくるかもしれません。
「立派な特別支援教育を受けたのに、社会に出たら差別されて、結局自分らしく生きられなかった・・・」
何故そのようなことが起きるのでしょうか?
それはきっと、特別支援学校の大事な目的を、私たちは見失ってしまっていた。
それは、政府の官僚や学校運営者だけではなく、地域社会や障害のある子供の親たちも見失っていた。
私たち支援者も、ご家族も、思い出してみれば、障害のある人たちとの関りの、最大のきっかけは「出会い」に他なりません。
出会わなければ、何も始まらなかった。
そう考えた時、特別支援学校はどうあるべきかのヒントが見えてきます。
「分離」ではなく、「共に」。
障害の有無を超えて共に在る経験は、子供時代に育まない限り生まれてきません。健常な子供たちも、障害のある子供たちも、
同じ友達、と考えられるのは子供時代しかないのです。

