介護や障害者施設で起きる暴力はなぜ起きる?
近年、介助施設や障害者施設などで、職員による利用者への暴力が事件となって報道される機会が増えてきたと感じます。
報道では、そのような事件が起きたという事実だけを報道しますので、何故そのようなことが起きたのかは、裁判を傍聴するかしか手がないわけですが、裁判でも加害者の心のうちまでは明かされないという予感もします。
どんな人でも、介護や障害者福祉で働こうと思うきっかけは、弱い人を手助けしたい、という感情があるはずです。
ケアワーカーと呼ばれる私たちの仕事は、他の職業とは決定的な違いがある。
それが、「誰かの役に立ちたい」というやさしさが出発点になる、という点です。
介護や福祉の現場で働くことと、物を作ったり、運んだり、売ったりする人とは、根本的に違うと感じます。
そう考えれば、暴力の加害者であった職員の人たちも、当初は、私たちみなと同じ「やさしさの人」だったはずです。
ではなぜ、そのようなやさしさが怒りに、また暴力に変化してしまったのでしょうか。
私たちはこの点をよく考えなければならないと思います。
私が想像する理由は「パターナリズム」です。
簡単に言えば、私たちがあなたの「役に立ちたい」と思う時、やさしさや共感であると同時に、
相手は「役に立たない存在」だということを暗に示している。
ここには「共に」ではなく「上下関係」が存在します。
つまり、私たちは、常に何らかの形で、利用者を下に見てしまっている。
この上下関係は、維持されている間は問題を起こしませんが、
上下関係が転倒する場面で、私たちは怒りを感じます。
転倒とはどういう場面でしょうか。
それは、相手、つまり利用者から、手助けを拒絶されるときです。
利用者も尊厳ある人間ですから、やってほしくないことを拒否することがあります。またそのような判断が困難であればなおのこと、
支援やサポートの手を払うのです。
その時、私たちの心にはどんな思いがよぎるでしょうか。
もし、あなたが、相手を弱い存在、出来ない存在、手助けしなければいけない存在、かわいそうな人、であると感じているのなら、
利用者の拒絶=支援者の怒り。
もちろん、怒りと暴力行為にはかなりの落差がありますが、
あなたが、現場で怒りを感じるのは、こういう場面です。
それは、怒りであって暴力ではありませんが、暴力の一歩手前まで来ている。
私たちはよく考えなければなりません。
